実録!日本の裏社会”ヤクザ”のライフスタイルに迫る!

●日本のヤクザ

組織を形成して暴力を背景に職業的に犯罪活動に従事し、収入を得ているものを言う。この偏倚(へんい)集団を特徴づける要因の一つに集団内部の「親分子分」の結合がある。また下っ端に該当する場合は「チンピラ」と称される。

日本最大規模の指定暴力団山口組は、兵庫県神戸市に本部を置く暴力団でその構成員数は2012年の時点で約13,100人、準構成員数は約14,600人の合計約27,700人であり、その人数は全暴力団構成員・準構成員数約63,200人のうちの43.8%を占めている。

●現代に残るヤクザの起源

太平洋戦争終結直後は、日本が連合国に敗戦し国土も焦土と化した事で物資が不足し闇市が栄えていく事になり、特に露店を本職としているテキ屋系団体が勢力を増していった。

また、敗戦による社会の荒廃により戦後の日本の治安は極めて悪かった。その中で、警察に代わって暴力団が治安維持の実力集団として機能する例も見られた。また新たに戦後の混乱の中で形成された“愚連隊”(ぐれんたい)などの不良集団から暴力団が誕生する事もあった

●他国のマフィアとの違いは…?

ヤクザ。彼らはイタリアの親戚達に比せば紳士的な傾向にある。窃盗や武装強盗などの街頭犯罪に着手することは通常はない。同業者すなわちヤクザ同士の抗争というならばそれはしばしば発生するものであるが、彼らが一般大衆を攻撃対象とすることは極めて稀である。…

出典ジェイク・エーデルスタイン – Wikipedia

●普段のイメージとは違う良い一面も…!?

東日本大震災の発生直後、山口組と住吉会は、東京都の事務所を帰宅困難者に開放し、同時に支援物資を自ら調達し被災地にトラックで送っている。稲川会神奈川ブロックは茨城と福島の放射線汚染地域に70台の救援物資を満載したトラックを送り込んだ。このときは防護服やヨウ素剤なしに身を挺して汚染地域に入っていったことになる。

同時に閉鎖された高速道路を使わずにトラックでひたちなか市へ50トンの支援物資を市役所に届けるなどのボランティア活動を展開した。この際、暴力団であるというだけの理由で、篤志が受け入れられないことを危惧し、身分を明かさないといった気遣いに努めている。

このような災害支援は1995年の阪神淡路大震災から始まっており、この当時は国民による災害ボランティアも一般的でなかったが、山口組は最も早い時期に態勢を整え被災地で支援を開始している。 これらのボランティア活動に対して国内のメディアでの報道は寡少で、むしろ外国のメディアで報道され、それが翻訳されて紹介されているという例が多い。

一方受け手の一般社会もこれに対しどのように対応すべきか、戸惑い、様子見の現状にある。

●以下、ヤクザのライフスタイル写真

引用:Naverまとめ

ヤクザという存在がかつてもっとも輝いていた頃は、昭和残侠伝の頃であり、仁義無き戦いの頃であっただろう。

その頃は多くの若者が、義侠や人情の徒、もしくはアンチヒーローとして明日なき日々を逞しく生きる理想像として憧れ、自己を投影していた時代が確かにあったのだ。

虚構の中のヤクザ、侠客が輝いていた時代は上記の通りだが、本物のヤクザが栄耀栄華を極めたのはバブルの頃だ。伊丹十三が映画でその横暴さと幅の利かせっぷりを切取ったくらいである。そして、伊丹十三は襲撃されたりもした。暴対法が強化された現在では考えられない話だ。それ位、ヤクザは一般人や社会的な部分でも権力を持っていたという事になるだろう。バブル期には総会屋となり、土地を転がし、栄光を極めたヤクザは今や成りを潜め、一般人と同じような姿、格好になっていると聞く。パンチパーマに紋々という如何にもなヤクザが絶滅危惧種になった事は喜ぶべき事だが、結局は影響力を地下道のように張り巡らせているという事ともいえるわけだ。

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主に政治、時事ニュース関連の記事をアップするブラック会社勤務のアラサー

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